2021年05月24日

辛い在隊生活を振り返って

小生は機動隊に約4年半在隊した後、道央にある炭鉱町に異動を命じられた。
やっと地獄のような収監生活から離脱できた。本当に厳しい機動隊生活であ
った。いや、訓練や仕事が辛かったのではない。人間関係に疲れ果ててしま
った。


ごく一般の人間からすれば、そんな人間関係の苦労はどこも同じだと思うであろう。
だが、機動隊と言う組織は一般会社、組織とは全く異なる辛さがあるのだ。
しかし、これは小生のみが感じた辛さであって、それぞれの性格の違いによって、
この場所が非常に楽しく感じた者もいるかも知れない。だが、小生には楽しいなど
と言う感覚を感じた事などない。


機動隊に4年半在隊した者は当時それ程いない、同期のA君くらいだ、彼の場合は酒も
好きで集団生活に苦痛を感じているようには思えなかった。(本人の意思を確認した
ことはないが)機動隊は自衛隊と同じで部屋で寝食を共にする生活である。性格の
合わない者と同室になれば最悪である。実際、課業終了後、夕飯も食べずに街へ出かけ
て行く同期生がいたが、彼はほぼ毎日、当番小隊以外の時は在隊している事はなかった。


そして1年も経たぬうちに警察をやめ、機動隊を去っていった。小生は半分羨ましく思
った。小生は転職すること2度、また警察を辞めれば3度目である。また親兄弟に迷惑
をかけると思うとそんな安易な決断はできなかった。


前回の2度の退職は全て自分の我儘からだ。その組織の人間関係は比較的良好で、
いやだと感じたことなどなかった。しかし、警察という組織に入り、初めて人間
関係というものに嫌気を感じたのである。


小生が警察に入ったのは21歳、当時の同期とは3年歳を隔てていた。しかし、
前にも言ったがこのような組織は軍隊と同じで、先に釜の飯を食ったほうが偉い
のである。いくら年長であろうが呼び捨て、年下扱いである。年下同期が怠った
仕事は同期年長の小生の指導不足と言う事で、そのたびに酒席で大先輩の説教を
受けるのである。


まあ、小生にとっては4年半の懲役生活であったのである。プライバシーなどと
いう洒落た環境などもなく、集団パワハラあり、3日に一度は当番小隊といい、
この監獄隊舎から出られない。その間は待機の時間であり、自室に籠っていな
ければならない。

しかし、先輩隊員は娯楽室で麻雀、トランプ、花札などをして過ごすのである。
小生はと言えば、麻雀できず、花札もできない。まあ、父親が賭け事が嫌い
だったのでそんなものは目にしてこともなかった。


それも、今だからこそ言えるが、額は少ないにしろ、皆賭け麻雀、賭け花札
などで、負けると大きな奇声が全部屋に聞こえて来るのである。まさか
うるさいからやめろとか、警察官が賭博をしていいのか、などとは間違っても
言えない雰囲気である。

小生の場合は酒も飲めず、賭け事もできず、如何にこの獄舎が苦痛なもので
あったかは誰にも分からないであろう。そのような中で過ごした隊舎生活で
あったが、今度は先輩共が異動でいなくなると、若い隊員が、そのあとを引き
継ぐように、同じことを繰り替えすのである。最初は注意したが、大人しい
先輩の小言など、どこ吹く風、酒を飲みながら言い返してくる始末、もう、
今度は小生が当番小隊以外の日は外出するようになってしまいました。


おまけに先輩になってくると寮長などという、やりたくもない役に選ばれ、
断ることもできず、引き受けたはいいが、清掃の管理だとか備品の補充など
まあ、庶務のような仕事をさせられた次第でございます。

このような環境での4年半は本当に長い在隊生活であった。その中でやはり、
在隊生活が嫌な者は早々に結婚して、この隊舎生活から、おさらばして行き
ました。先輩は元より同期も後輩まで、そして異動になるまで小生は残留
する羽目になったのです。本当に苦痛、苦痛、苦痛・・・の在隊生活であり
ました。


 ※ 今日のメッセージ

   あなた方は一時(いっとき)として独りぼっちでいることはないこと、
    周囲には常にあなた方を愛する大勢の人々が見守り、導き、援助し
    鼓舞せんとして待機していることを知っていただきたいのです。

                        - 引用: 『シルバーバーチは語る』p.83-


posted by 如月 at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想記