2020年09月04日

潤いを絶たれた交番勤務

今回は在職当時の交番勤務員の情報網について、お話したいと思います。
永年警察組織に身を置いて感じたことに警察組織というより、警察幹部は
下々に必要最小限度の情報を与えているでしょうか?


たとえば新聞などは交番に配達されることはありませんね、交番費で購読
されている部署は別として、ほとんど交番員が新聞配達員と仲良くなり、
サービスとして配達して頂くと言うのが慣例でした。(それとも所属長が
わざわざ雑魚たちの勤務する交番に差し入れてくれた所属がありますでし
ょうか?  ありましたら、ご一報を! 訂正いたしますので・・・)


そして昔は、正月や盆暮れに交番に入った中元や歳暮を配達員の皆様に
新聞代代わりにお返しするというのが慣習で御座いました。そんなもの
でも配達員の皆様は小生等交番員に恐縮しながらも受け取ってくれました。
この方々は警察組織の立派な協力者だったのです。


ですから、我々交番員も配達員の方を労い、人間関係を壊さないように努
めていた訳でございます。そのような事実を所属の長たる者は気づいていた
のでしょうか、当然気づいていたと思います。しかし、新聞の配達員の方々
といい、無料奉仕で冬の除雪をしてくれる方々に所属長が部下に協力してく
れている一般協力者にとして、特に労いの言葉をかけてくれたなどというこ
とはございませんでした。


そんなことは交番の雑魚どもが勝手にやっているんだ。と、このような意識
だからこそ北海道警察の後年、幹部による不正経理問題が発覚したのでしょう。
そのような不正な金を捻出できるなら、このような協力者の方々に報いるべき
だったのではないでしょうか。


しかも当時の所属長殿は、本署において全社の新聞を購読され、朝、決裁後
に午前中をかけて熟読されておられたのでございます!
また人間関係の良好でない交番は、当直の夜、わざわざ本署に赴いてまで、
読んでおられる諸先輩も沢山おられました。


当時、各所属が交番に新聞を配布すると言う事は、多大な経費になると思っ
てか、本署にお偉いさんが読むための教養資料だったのでございましょう。
交番員は仕方がないことと諦めて、自腹で毎回駅売店に買いに行く先輩も
おりました。


また、R署にいた頃の事、それまで代々交番に引き継がれておりました貴重
な真空管式のラジオが突然、大署長殿の一声で撤去されてしまったのでござ
います。そしてなんと、その署長殿の言が

     「交番は娯楽の場ではない!」

仕事に必要ないものは撤去するとのお達しだったのであります。な、な、
なんと無慈悲なお代官署長でございましょう。本署において、署長殿が拝読
される新聞、テレビの観覧などは許され、雑魚の交番員には身分不相応と
言いたいのでありましょうか?


なんと潤いのない職場なのでしょう! 当直明けの朝に安い煎茶を飲みな
がら、ラジオから流れてくる音楽を聴いたり、天気予報や事故、事件の
ニュースを聞く事が、それほどに不届きなことなのでございましょうか? 
(交番員の朝の細やかなひとときなのです! 多忙な交番は別です)


今一度、当時の所属長殿に説い糾したいものでございます。
裏金作りの慣例を当たり前のこととして、自らの私腹を永年肥やしてこら
れた人間共に言われとうはございません。まして、心ある先輩が、後輩の
為に交番に寄贈したラジオを何の権限があって処分するのでありましょう。
こんなおバカな署長殿が至る所に存在していることが警察組織の特徴なの
でございます。


まあ、昨今は昔と違い、各勤務員がスマホなどを所持する時代でございま
すからそのようなことはないのでございましょうが、しかし、当時も災害
などがあった訳で、ラジオ等の設置されていない交番は、緊急速報があり
ましても、一般人が知っている事件や災害の詳細さえ交番員が知らない
こともあったのでございます。


実はパトカーにも車載ラジオはついておりましたが、まさか常時乗車して
ラジオを聴くなどということもできないでしょう。交番員は自ら隊や交通
機動隊と違い勤務の主体は交番なのでございますから・・・


このように所属長等、警察幹部は交番勤務員には極めて厳しいのでありま
すが、内勤勤務員の方々には非常に優しい処遇をされるのです。
(特に刑事や警備警察官)ですから、常々内勤員に厳しく当たる幹部の姿
などを見ることは珍しいことで、可愛い内勤チェルドランには許されること
なのでございました。ですから下位の浅はかな内勤員自体も交番員などに
対しては、幹部を見習い、横柄な態度をとるのは年々常態化していたので
ございます。 


しかし、そのように偏執した体質が継続してきた結果、昨今の「けじめ」
のない組織に変貌を遂げて、華やかに? 不祥事拡大の種を温存すること
となったのではないでしょうか? 


 ※ 今日のメッセージ

忙しさの中で“死”を忘れようとしている現代人

現代人の多くが、意識的かどうか定かではありませんが、“死”という避け
られない宿命を正面きって考えないようにしているようです。幸か不幸か、
日常生活の忙しさの中で、死について考える暇(いとま)さえ持てないと
いうことかもしれません。そしてつかの間の物質的快楽・本能的快楽に身を
任せて、毎日を過ごしています。しかしそうした人々も、いったん病気にな
ると、たちまち死の深刻さが目の前に迫ってくるようになります。


現代ほど物質文明が進歩していなかった時代には、人々は今よりずっと
ゆったりとした生活を送り、静かな時間を持っていました。当時の人々は、
死について否応なく考えざるをえない環境に置かれていましたが、それに
よって自分自身の心を深く見つめることができました。現代人は、もっと
もっと一人だけの静かな時間を持たなければなりません。人間性を取り戻
すためには、そうした時間が不可欠なのです。死についてじっくりと考え
ることが必要なのです。


           −引用:霊性進化の道ースピリチュアルリズム
               2.人間普遍のテーマ・・死生観−



posted by 如月 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/187876226
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック